『ベルリンの壁』なら持ってます

 ちょうど今から30年前の平成元年(1989)11月9日、「東西ドイツ分断の象徴」と呼ばれた『ベルリンの壁』が壊されました。
 当時私は中学生だったのですが、当然のことながら日本でも大きなニュースとして取り上げられました。
 社会主義からの脱却。東側からハンマーで壁を破壊する人が、テレビ画面に大きく映し出されていました。
 昭和36年(1961)8月13日以来、東西ベルリンは、28年間に亘って、約155キロメートルの『ベルリンの壁』により、その往き来を遮断されてきました。
 これ、本を正せば、第2次世界大戦後の連合国の不仲が原因です。戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連が、4つに分けたドイツをそれぞれ占領することになったのですが、ベルリンについても同じ。4か国による占拠が行われました。
 ただ、名前が挙がった国を見ていただければ分かるのですが、資本・自由主義の3国に対し、共産・社会主義であるソ連。水に油が混ざった状態です。言うまでもなく、双方には軋轢が生じました。
 結果、昭和24年(1949)、アメリカ、イギリス、フランスの占領を受けていた地域は統一され、西ドイツに。一方、ソ連の占領下にあった地域は東ドイツとなったのです。
 国がそうなったのですから、これはベルリンについても同じです。東と西に分けられました。
 しかしながら、西ベルリンの周囲は、東ドイツに囲まれ孤立した状態です。周辺全て共産・社会主義の中で西ベルリンだけが資本・自由主義という形が続きました。
 一方、国単位で見ていきますと、西ドイツは、まさに「奇跡」とも呼べる復興を果たしました。元来真面目で一途な性格を持つドイツ人に自由経済は見事にマッチしたようで、一気に生活が潤い始めたのです。
 ところが、「では、東ドイツは?」というと、駄目でした。共産・社会主義であるソ連の吸い上げに遭い、東ドイツの経済は低迷していったのです。
 元は同じドイツ。それなのに、西はよいのに東は駄目。こうなりますと、国民の考えることはひとつです。
 そう、東ドイツの人々は、自由を求めて西ドイツへと逃げることを考え始めたのです。
 西ドイツへの逃亡。これは、ベルリンについても同様でした。しかも、都合のよいことに西ベルリンは東ドイツの中に“陸の孤島”としてあります。つまり、何とかして西ベルリンに入れば、東ドイツの支配から逃れることが出来るのです。
 事実、1950年代の東ドイツからの人口流出は200万人以上。最早歯止めが利かない状態になっていました。
 もちろん、ソ連側も手を拱いて見ていたわけではありません。東ドイツからの人口流出阻止手段を打ちました。そのひとつが、『ベルリンの壁』というわけです。
 とはいえ、結果はご存知のとおり。平成元年(1989)の今日、『ベルリンの壁』は崩壊しました。
 そして、それをきっかけとして翌年、平成2年(1990)10月3日、東西ドイツは再び元のドイツとなったのです。

 さて、軽くまとめるはずだった戦後のドイツの姿。意図せず長くなってしまいました。
 ただ、本題はここからです。
 崩壊した『ベルリンの壁』ですけど、実は、私、その欠片を持っています。
「俺、『ベルリンの壁』を持ってるよ」
 そう人に伝えますと、結構な確率で、
「え? どうやって手に入れたの?」
 なんて聞かれるのですが、大したことではありません。現在では「自由の象徴」などと呼ばれている『ベルリンの壁』崩壊ですが、壊せばただのコンクリートですから、別に珍しいものではなく。当時は、ドイツから輸入する色んなものに“おまけ”として入っていたのです。
 因みに、私が持っているのは、父がブラウンのひげ剃りを買った際、その“おまけ”としてついてきたもので、ビニル袋の中に「『ベルリンの壁』だよ」との説明とシリアルナンバーが記されたプラスチックの板、それと2センチメートルほどの大きさのコンクリート片が入っているものです。
 私が持っている『ベルリンの壁』の欠片。恐らく、メルカリで出品したとしたら、500円ぐらいでしょう。
 でも、それでもいいんです。『ベルリンの壁』など価値なんかないほうが。それよりも、途方もない困難があると分かっていながらも、“ひとつのドイツ”となることを選択した当時の西ドイツに住んでいた人たちの人間性。そちらのほうにこそ、大きな価値があると思いますので。

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